代表者自伝

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香港で私の運命は決まった。

永田モバイル株式会社 代表取締役 永田武義 自伝

ラジオ少年だった幼少期

無線従事者免許証私は昭和18年佐世保市で7人兄弟の長男として生まれました。
写真の無線従事者免許証にある本籍が福島県となっているが福岡県の誤りです。
終戦の混乱の中で父と母は7人の子供を育て上げてくれました。
小学校の5年6年の時は機械いじりが好きだったようで、鉱石ラジオやゲルマニウムラジオを作っていた記憶があります。「ラジオ佐世保」を聞いていました。(ラジオ佐世保は、佐世保市の財界・有志らが県北部を聴取地域としたラジオ局の設立を計画、ラジオ佐世保の設立に至った。その後、開局から半年ほどでラジオ長崎と経営統合し、県内1波となった。ラジオ佐世保はこれにより長崎放送の放送支局となった。)
FENも聞いていました。 (エフイーエヌ、Far East Network、極東放送網)(世界各地の米軍が駐留する地に設けられた基地関係者とその家族向けの放送局。現在のAFN)米軍佐世保基地があるから聞けるラジオなわけです。当時は英語が分かる訳でもなく、軽快なしゃべりと、ウエスタンなどの音楽を聴いていました。まだ知らないアメリカに憧れていました。
明治大学を卒業して東京で働きながら、昭和45年(当時27歳)で、アマチュア無線技士の資格を取得しました。どうしても子供の頃からの夢を実現したかったのです。その後、父が自営する佐世保に帰って来て家業を継いでいきます。

香港での出来事が今のビジネスに発展

私は43歳頃、香港へ旅行しました。
市内観光バスに乗り込んだ私は、今まで見た事がない光景を眼にすることになります。
観光バスの添乗員が無線機のようなもので話しているのです。一般的な無線機は交互に会話をしなくてはいけません。しかし、その機械で電話機のように会話をしています。話の内容は交通渋滞しているので昼食を予約しているレストランには30分遅れるという内容だったようです。
その機械に興味がわいた私は、どんな機械なのかを聞いてみました。携帯電話機だと答えが返ってきました。携帯電話と言っても今のようにポケットに入るような小さいものではなく、英語の辞書を2冊か4冊たばねたくらいの大きさと重さがありました。本当に電話なのかと尋ねる私に、おまえの会社の番号を教えてみろ、会社にかけてつながったら信じるかと言ってきました。電話番号を教えると、呼び出し音が聞こえるその機械を私に差し出しました。もしもしと言う私に、日本にいる私の会社の社員が応対に出たのです。こうなれば信じるしかありません。それも国際電話ができる携帯電話機だったのです。
添乗員は続けて言いました。この携帯電話はまだ日本にないだろうが、もうすぐみんなが使えるようになる。この携帯電話は、私の仕事10人分くらいの働きをしてくれる。私にこの携帯電話のビジネスをしないかと薦めました。お客様がみんな喜ぶに違いないと言いました。
帰国した私は、早速九州移動通信網(NTTドコモの前身)に日参することとなります。

ポケットベルから携帯電話の時代へ

アマチュア無線機若い方々は、ポケットベル(通称ポケベル)をご存知ないと思うので簡単に説明しますと、例えば外出している営業社員がポケベルをポケットに入れておきます。連絡をとりたい会社の社員がその人が持っているポケベルの番号をダイヤルします。ポケベルが鳴ると近くの公衆電話から会社に電話をかけて用件を聞いて、お得意先などへ電話をします。これがポケベルの使い方です。
我が社は、ポケベルの販売をしていました。その後自動車電話の販売、そして携帯電話の販売を始めていきました。そして今では、皆さんもお馴染みのドコモショップをオープンいたしました。

写真は、現在あるアマチュア無線機です。万一の災害などに備えて設置しています。

今後も皆様のお役にたてるドコモショップとして邁進していきます。
ドコモショップ佐世保京町店グループにご愛顧賜りますようお願い申し上げます。